“東京で夢を追う北京の青年”インタビュー記事を『人民日報海外版日本月刊』にて公開

人民日報海外版日本月刊

2021年11月26日 17時15分

『人民日報海外版日本月刊』が記事「東京で夢を追う北京の青年」を公開いたしました。


日興総業 代表取締役社長 高 沢(1)

日本華僑不動産協会の設立活動で、同郷・北京出身の青年、高 沢氏に出会った。彼が同業者から「よろずや」と呼ばれていることを聞き、彼はきっと異色の経歴を持つ男に違いないと思った。
案の定、この1980年代生まれの青年は、十数年間で1万件を超える不動産賃貸と売買契約を手掛け、日本にいる中国人留学生の住居探しを皮切りに、さらに日本で働き生活する華僑華人の住居購入をサポートするようになり、東京の華僑華人たちの間で広く知られ、信頼されるようになった。彼は初めて日本に来た中国人留学生に似合った住まいを見つけてやれることから、個性豊かな90年代後半生まれのZ世代の若者に「よろずや」というニックネームを付けられているという。
東京でも人気の繁華街・高田馬場で株式会社日興総業の代表取締役社長である高 沢氏に話を聞いた。


■北京理工大学退学から日立製作所退職まで
高 沢氏は、1980年代に北京に生まれ、2001年に北京理工大学に入学し、情報学を専攻した。順調にいけば、北京で生まれ育ったこの青年は4年後に高待遇で安定した中央企業に入ると思われていた。ところが意外なことに、彼は入学して2年目に北京理工大学を退学してしまったのである。ここからも、彼が人生の早いうちからプランを立てていたこと、物事への決断力と実行力が並外れていたことがわかる。
高 沢氏は来日して、札幌の日本語学校に入学し、日本語を学び始めた。受験準備を進め、未来への夢を描いていた。2年後には順調に東京にある電気通信大学に合格した。日本に来た当時、高 沢氏は多くの中国人留学生と同様に勤労学生となり、現地の生活に素早く溶け込みつつ、生活費を稼ぐために働いた。新聞配達、ホテル清掃、レストランの皿洗いなど、彼は十何種の仕事に就き、大学4年間の学費と生活費を捻出し、両親に負担をかけることはなかった。自立こそが、彼が追い求める人生の目標の一つなのである。
彼は電気通信大学で最も有名で影響力のある情報理工学部で学び、さまざまな専門技術を身に付けた。こうした確かな基礎と実力により、就活では日立製作所、東芝、NECの大企業3社から内定を受けることができた。検討した結果、彼は最終的に日立製作所に入社することを選んだ。
日立製作所で働く中で上海に駐在したこともある。その2年間で、祖国が日々成長し、繁栄し、エネルギーを発散していることを実感した。そして、将来世界は中国を重視すると確信した。もともと現状に甘んじることを望まない彼は、日本にいる中国人、特に中国人留学生をいろいろな点でサポートできないだろうか、という新しい考えを持つようになった。
どこの国でも「衣食住」が基本であるが、特に海外に渡った中国人にとって住宅難が大きな問題だった。高 沢氏は日立製作所での仕事の合間に中国人留学生に対するサポートを始めた。
今まで、日本の大企業を退職して起業する多くの華僑華人に取材してきたが、彼らが大企業を離れた理由について、「明るい将来が見えない。自分の人生は今だけでなく、一生を見通せなければ」と異口同音に話す。多くの人は、会社を辞めるときに、自己中心的であったり自信満々だったりするが、自身が起業するときにようやく、自分の土台はもともと会社のものであり、それ以降は自分だけでやっていかなければならないと気付くのである。事前の準備がうまくいけば、起業も順調に進むが、事前の準備が足りなければ、起業後の不安定な時期や挫折に苦しむ時期も長くなってしまう。しかしもちろん、高 沢氏は前者であった。
高 沢氏には素晴らしいアシスタントがいる。それは彼の奥様である。「成功する男の影には素晴らしい女性がいる」と言われているが、まさにその通りだ。彼は、「もし妻の理解とサポートがなければ、私の事業も成功しなかったでしょう」と語る。
その後、日立製作所を辞職した高 沢氏は自身の事業に専念し、日興総業は日々発展していった。社名の「日興」には、会社が日に日に隆盛になっていくようにという彼の気持ちが込められている。
これまで、高 沢氏は人生で2回転換した。1回目の北京理工大学の退学では、「中から外」、日本に向けて中国を飛び出し、日立製作所の退職では、「外から中」、在日の中国人市場に戻ったのである。哲学的にいえば、このような循環には螺旋状の上昇が伴うのである。


■個性化と差別化が成長の秘訣
高 沢氏は心を込めて制作した宣伝パワーポイントを手に、日本の来日仲介業者のドアを一軒一軒叩き、豊富な専門知識と確実なビジネスリテラシーで、提携する業者を説得した。個人のサポートから仲介ルートに至るまで、日興総業は迅速に東京の中国人留学生の賃貸市場シェアの半分を占めるに至った。
しかし、不動産仲介業は煩雑で細かい長期的な業務である。パワーポイントだけに頼って顧客と長期的な提携を続けていくことは非現実的だ。個性化、差別化経営こそが日興総業が業界で飛び抜けた存在となった秘訣である。
注意深い高 沢氏は、現在の若者は日本に留学しても、実家がした借金を負うこともなく、自分で生活費を稼ぐプレッシャーもなく、学業に専心できるようになっており、住まいに対する要求も高くなっていることに気づいた。例えば、ペットの飼育が可能かどうか、周囲にスーパーはあるか、住まいから最寄り駅まで歩いて何分かかるか、さらに通学の交通手段などが彼らの大きな関心事なのだ。かつての中国人留学生は通学時間を犠牲にしても家賃を節約していたが、今では生活や交通の利便性のために躊躇なく高い家賃を支払うようになった。また、ここ数年、中国国内の住居条件が改善し続けているため、個室に慣れた若者たちは日本に来てからも独立した空間を求めるようになった。
昔の留学生のように、授業の時間以外はアルバイトをするため、住まいはただ寝られるだけで良い、ということでは今の若者たちのニーズには応えられなくなってきた。同時に、国内の両親が子供の住まいを探すにあたっては、耐震性や防犯機能、オートロックなどの安全性を重視している。そこで、日興総業は家電が完備し、バストイレ、キッチン付きで、新しい耐震技術構造の独立した部屋を、市場向けのメイン商品とした。
ある時、高 沢氏は家族を訪ねて北京に帰り、北京ではすでにサービス付きアパートメントが流行り出していたことを知った。部屋には家具と家電などインテリアが完備しており、管理人サービスも提供され、安心な住環境がつくられている。こういったアパートメント経営モデルに高 沢氏は重要なことに気付いた。彼は日本に戻ってから、すぐに留学生アパートに管理サービスを取り入れ、24時間サービスで、随時留学生の突発的な問題発生にも対応できるようにした。
差別化は、多くの同業他社の中で生き残り、安定成長を続けられる秘訣である。しかし、差別化は賃貸料の面だけではなく、顧客のニーズに寄り添った個性化の構想に現れており、「住まい」から「生活」へのレベルアップを実現している。
会社は2カ月ごとに入居している留学生に対して細かいアンケートをおこなっている。アンケート内容は、出迎え業務や管理サービス内容が十分か、ルームメイトとは仲良くしているかなど多方面にわたり、回答に基づいて業務を調整し、改善している。できる限り、生活の細部から、そして根本的に不協和音が生じないように努めている。
留学生たちは若く、中国で独立して生活した経験もなく、電球の取り替え方も分からない。アパートメントの管理サービスでは、各種の生活のヒントを教えるビデオを制作し、WeChatを通して留学生に送り、彼らが一人でも問題を解決できるようにしている。留学生たちはまず自分でやってみて、それでも問題が解決できない場合も心配はいらない。電話を1本かければ、管理人がすぐに来て適切に処理してくれる。


■「住宅に学ぶ」―留学生活で経営学を見つける
「住宅に学ぶ」が、日興総業の個性的な不動産サービスである。
今の世代の留学生は自主性がさらに強く、日興総業は留学生賃貸市場の各種個別化したニーズを満足させ、さらに不動産投資をしたいと考える留学生のために、不動産取引と不動産管理業務を提供している。さらに、日興総業は東京で留学生専用のマンションを開発し、個性的な住居空間を提供することで、在日留学生の生活環境をより快適にしている。
不完全な統計によるが、2020年には約8万人の中国人留学生が日本で生活している。年々留学生の数は増加し続けており、留学生のための賃貸仲介市場を繁盛させている。現在、不動産賃貸のほか、多くの留学生が不動産売買に興味を持っている。留学生が生活費を使って不動産を購入し、不動産を分割して賃貸に出し、自身の住居問題を解決するだけでなく、賃貸料の収入で生活できるようになり、さらに大きな価値を生む。そんな新しい経営モデルが誕生しているのだ。
「時代は大きく変わった」と高 沢氏は感慨深く言う。昔は労働でお金を得ていたが、代理購入でお金を稼ぐようになり、さらには不動産に投資する……中国人留学生の生活は驚くような変化を遂げたが、その背景には一人一人の中国人の生活が豊かになり、国力が強大になったことがある。このような変化は、一人一人の華僑華人が誇りに感じるところである。


■ピンチからチャンスへ大規模開発へ
技術関連の仕事に長く携わってきた高 沢氏は、「専門性」という言葉をより深く理解している。日興総業の設立と同時に、合格が難しいとされる宅地建物取引士(宅建士)の資格をわずか半年間で取得した。合格の秘訣を聞くと、彼は「運が良かっただけ」と言うが、誰一人運だけに頼った成功者はいない。
新型コロナウイルスが全世界に蔓延したこの2年間、国家間の経済、文化交流にも深刻な影響が出ている。そこで、多くの在日華人たちは経営戦略を調整したり、経営範囲を広げたり、経営モデルを変更したりしている。高 沢氏も人に遅れをとらず、チャンスをつかんで大胆な攻勢に出た。浅草の土地一区画を手に入れ、すぐさま48室の客室を持つ高級ホテルの建設に着手したのだ。伝統と流行が共存する浅草で、中国人はお客になるだけではなく、ホストになったのである。
なぜコロナ禍の中で新たに投資し開発建築することを重視したのか。高 沢氏は「私はこの建物が浅草の新しいランドマークになると信じています」と誇らしげに語る。確かにこれは、祖国の復興富強が彼に与えた自信と言えよう。財布が潤い、胸を張った中国人観光客らは、海外旅行の名所として日本を挙げるケースが増えている。高 沢氏は、コロナ禍が収束したあと、中国人観光客の来日は爆発的に回復し、その後長期の安定成長期に入るだろうと信じている。


■取材後記
高 沢氏の率いる日興総業は、日中一帯一路促進協会に加入した。中国と日本の経済文化交流の進展を通して、両国民の生活の幸福指数を上げるという目標の達成に、高 沢氏は自信を持って語る。「全世界の華僑華人が日本に来て、東京に来て、浅草の特別な魅力を味わってほしい」。


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