金城国際株式会社 中山正信社長のインタビュー記事を「人民日報海外版日本月刊」にて公開します。
金城国際株式会社 中山正信社長
「信用第一で、100年企業を目指します」。金城国際株式会社の中山正信社長は、ふくよかな耳をした話し好きな人物である。彼は、零細企業をわずか4年でグローバル企業に発展させた。その力強い話しぶりには、聴く者を引き付ける力がある。先頃、中山正信社長を取材し、十全の準備によって、コロナ禍にありながら、来日わずか4年でチャンスを手にするまでの物語をうかがった。
■確固たる信用を基盤に日本で創業を果たす
「信とは、誠実、信頼であり、われわれの経営理念のひとつです。雅は、完璧なサービスの追求を意味します。達とは到達の意味で、使命を果たす決意を表しています」。中山正信は自身の価値観である「信、達、雅」、金城国際株式会社の経営理念、創業までの道のりについて生き生きと語り始めた。
中山正信の日々の生活は、南普陀寺が朝な夕なに奏でる鐘や太鼓の音と共にあった。アモイ港には異国情緒が漂っていた。日本との取引が増すにつれて、彼は日本の社会や文化を深く理解するようになった。仏教は6世紀に日本に伝来し、禅宗は鎌倉時代に日本に伝わり、江戸時代には儒教が隆盛期を迎えた。中山正信は、儒教や仏教の色彩が色濃く反映されている日本文化と、日本の近代化に多大な貢献を果たした福沢諭吉の儒教批判に強い印象を抱いた。2018年、仏教と儒学に造詣の深い中山正信は、福沢諭吉によって近代化を成し遂げた日本で創業することを決めた。そして、同年11月、食品と建材の貿易、不動産取引、旅館経営を主たる事業とする金城国際株式会社を東京に登記・設立した。
創業当初は、中山本人を含めて従業員はわずか2人であった。事業を興すこと自体、容易なことではない。いわんや異国で事業に参入するのは至難の業である。中山正信の冷静さと自信は、その盤石な事業基盤と無関係ではない。彼は、日本での創業を決める前から、10年以上にわたる対日貿易の経験とその人柄によって高い評判を得ており、日本国内の建築、食料品、日用品等の販売業者と堅固で信頼できるパートナーシップを築いていた。
福建石材は日本で大変人気があり、市場シェアは80%を占めている。中でも恵安の石材は有名である。中山正信は10年以上前から、石材の輸出を手始めに徐々に対日貿易に参入し、日本の大手都市銀行である三井住友銀行、韓国のSBJ銀行、中国系銀行の日本支店と良好かつ堅固なパートナーシップを築いてきた。したがって、東京で事業を始めたと言うより、マーケティングの拠点を日本に移したと言った方が的確である。自らが精通する従来のフィールドで、取引のかたちを対日輸出から対中輸入に転換したに過ぎない。
■十分なキャッシュフローが金城国際の強み
2019年末、金城国際株式会社が設立1周年を迎えて間もなく、新型コロナウイルス感染症パンデミックが発生した。自由な往来が阻まれる中、中山正信は情勢の変化に迅速に対応した。自ら範を示し、従業員を動員して、人脈を開拓し、電話、メール、動画等を活用して広く企業のPR活動を行った。努力は実を結び、金城国際の名は徐々に知られるようになった。金城国際のビジネスとは直接関係のない人も、彼らの誠意に打たれ、自発的に企業の宣伝に尽力してくれた。
新型コロナウイルス感染症パンデミックは、世界の人びとの生産活動と生活に深刻な影響を及ぼし、国家間の交流・協力に未曾有の危機をもたらした。中日間の航空便は大幅に減便され、両国政府は相次いで厳格な防疫政策を実施し、往来は困難を極めた。
日本のビジネスマンに、今日の中国に対する理解と信頼を深めてもらえるよう、ビデオ会議等の手段で対話を推進しただけでなく、日本のビジネスマンの中国視察にも熱心に取り組んだ。国の防疫政策によって、海外から中国に入国するすべての人が隔離を余儀なくされた。防疫政策に則った上で、中山正信は彼らの為にできうる限りのことをした。日本語と日本文化に精通する社員を手配し、ビデオや電話を通じて彼らを慰安し、彼らに寄り添い問題を解決できるようにするなど、最大の誠意を尽くした。日本企業と取引を始めた当初、日本の匠の精神に心打たれた中山正信の卓越した仕事ぶりは、日本のビジネスマンたちから高い評価を得た。
50歳になる中山正信の日本語能力は、日本人にも劣らない。それもそのはずである。彼は中国にいた頃、特別に厦門大学の日本人教師を雇い、毎日日本語を教わっていたという。忘れてならないのは、中山正信の人となりである。ビジネスの開拓においては進取の精神に富み、積極果敢で楽観的であり、経営においては常に守成を心に留め、事故や災禍を未然に防いでいる。
十分なキャッシュフロー、潤沢な剰余金、高いリスク意識は、金城国際が不可抗力に直面した際の勝利の切り札である。コロナ禍になって、日本政府は一時的に史上最も厳しい入国政策を講じ、日本はほぼ「鎖国」状態となった。古都の京都・奈良では、外国人観光客の姿が消え、一部の旅館は新たな住人を探す必要に迫られた。そこに着目した金城国際は果断に行動を起こし、資金繰りの厳しい旅館を比較的廉価で買収した。金城国際の巨額を投じた矢継ぎ早の行動は、日本の不動産業界で注目を集め、ある日本の大手不動産会社の管理職は金城国際に加わった。この勝機に乗じて、金城国際は台東区、豊島区、板橋区等の東京の人気エリアに新たにマンションを建設した。中でも20数階建ての高級マンションが人気である。
取材中、中山正信は、今日の留学性と20~30年前の留学生とでは、状況がまったく異なると、しみじみと語った。今日の留学生は、中国経済の急速な発展と生活レベルの向上という恩恵を受け、専門知識の習得に専念することができる。国民が豊かになり国が強大になったことで、ベンチャーキャピタルも増えている。中山正信が次から次へと成功を収めていく姿を多くの人が目にし、起業して事業を大きく展開したいと思う者は、彼に教えを請うことを願っている。世間の期待に応えるように、金城国際は不動産経営、旅館の管理に加えて、海外投資のコンサルティング業務を始め、長年、中国と日本で積み上げてきた信用を後ろ盾に、顧客の海外投資をサポートし、彼らの願望を一つまた一つと成就させている。
■アフターコロナは全方面に注力
金城国際は、わずか4年で急速に発展を遂げ、階層型組織を確立し、スタッフを充実させ、立体的な組織体制を構築した。中国の香港やマカオ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、シンガポール、マレーシアにも事業を展開し、事業内容は不動産売買、旅館の買収、健康食品、機械設備、建築設備、海産物の国際貿易と多方面に及ぶ。金城国際が取り扱った不動産案件は7万件を超えるが、苦情あるいは否定的なレビューはゼロである。それを励みとして、金城国際はコロナ禍にあっても着実に事業を拡大し、中山正信はそれらの業績を誇りとしている。
2022年10月、日本は入国制限を大きく緩和した。コロナ禍の3年間で資源を一掃した金城国際は、早くから静かに事業の方向性を模索し準備してきた。三井、三菱、伊藤忠、丸紅等の日本の大手企業と提携を結び、中国の国内旅行サービスシステムと日本の高級ホテルの予約システムのインタラクティブ・プラットフォームを進化させ、オンラインとオフラインを結び付け、窓口を増やし、集客を喚起する。金城国際が大手IT企業に委託した独自の不動産予約システムも間もなく稼働する。当システムはインターネット、スマホアプリ等にも対応する。
中山正信は表情を引き締めて、将来について語った。「日本には、100年あるいは数百年の歴史を有する企業が数多くあります。金城国際も100年企業を目指し、日本における華人実業家の模範になりたいと思っています」。具体的には、独自の「5か年計画」を掲げる。アフターコロナの取り組みとして、旅館の売買・運営と国際貿易に力を入れ、5年で少なくとも500の旅館及び輸入品専門店を増設する計画である。
軍人の家系に生まれた中山正信は、鋼のような強い意志をもち、楽観的かつ行動的である。40歳での初来日に戸惑うことはなかったのだろうか。彼の答えは意外でもあり、感動的でもあった。外国人は来日してすぐ、多くの機関に足を運び、様々な手続きをしなければならない。友人や専門家を頼ることもできるが、彼はすべてを自らの手で行った。日本に来てすぐに、これまで学んできた日本語を初めて試すのである。うまくいかなくて当然である。彼は「本当に愉快な経験でした」と振り返る。こんな人物が成功しないはずがない!
■取材後記
数日後、彼は、マレーシアに不動産プロジェクトの視察に赴くとのことであった。マレーシアマイセカンドホームプログラム(マレーシア政府が推進する海外移住者招致のための政策)の追い風を受けて、第一期は完売し、第二期も好調だという。人生にアグレッシブで、好奇心旺盛で、リスク管理を怠らず、未来に自信をもつ中山正信に、100年企業も夢ではない!
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